「植田さん、5番に入ってください」

やっと名前を呼ばれ、雑誌を鞄に戻しながら部屋へ向う。

「愛くん、こんにちは。また一段ときれいになったね」
何ヶ月ぶりに見るだろう先生の顔はいつもと変わらずだ。そんな事に少し安心する。
「こんにちは。よろしくお願いします」

大学4年の秋、首の右側に何かしこりのようなものがあるのに気がついたが、たいして気にしていなかった。
その春、内定をもらった会社の定期検査で異常が発見。
再検査を受け、しこりが悪性の癌だという事がわかった。

その日から私の生活はがらりと変わる事となる。
人間、生きるか死ぬかの瀬戸際に立たされた時、こんなにも弱くなるんだと実感した。
内定していた会社は第一希望のデザイン会社だった。
今まで自分の世界にあったものを、あきらめないといけないなんて考えてもいなかった。

世界はいつでも同じだと思っていたし、これからも変わらないものだと信じていた。

世界も変わらないし、私も変わらない。

そう信じていた。
それがあの日から、崩れ去った。
会社からは内定を取り消された。仕事で忙しくなると思っていた毎日は検査、検査に変わった。
今までできていた事も、出来ない状況に陥った。


そして3ヵ月後の5月に手術。
幸いな事に他に転移したところが見られず、再手術はなかった。
その後、自宅療養をしていたが、11月から叔父の経営する居酒屋「てんち」で働いている。
今では、痛々しかった首の傷跡も、もうほとんど目立たなくなってきている。
以前は弱かった私も、だんだんと病気によって、強くなったようにも感じる。